「供養」について

日本の宗教は、神仏混淆だと言われている。神道・仏教・儒教・道教もあり、近年ではキリスト教も日本人の精神文化に大きな影響を与えています。

そんな日本の仏教における「供養」について考えてみます。

「供養」というのは、「供給資(くきゅうし)養(よう)」の略。

仏・法・僧の三宝(さんぽう)で亡き人に供物を捧げること。もしくは、法要と同じ意味でも使用されます。

三宝とは、仏・・・悟りを開き人格を完成した人。

法・・・「仏」によって説かれた真理の教え。

僧・・・その教えを信受して修行する出家者の集まり。

「僧」は、サンスクリット語の“サンガ”を「僧伽(そうぎゃ)」を音訳したものの省略形でです。

“サンガとは本来は出家修行者の集まりであって、集団をよんだことばです。

{追善(ついぜん)供養(くよう)}~故人の冥福を祈る儀式

「追善」とは「追福(ついふく)修(しゅう)善(ぜん)」の略。亡き人の冥界での苦を除き福を増すために、生きているものが追って善いことを修することです。

したがって「追善供養」とは一般に、亡き人のために僧を招いて法事を営み食物を捧げることをいいます。

釈尊に帰依し仏教を篤く保護したインドのコーサラ国王が亡き父のためにお斎(とき)を設け釈尊や弟子を招いて供養したのが始まりともいわれています。 

インドでは、死亡後四十九日まで七日ごとに行う中陰(ちゅういん)供養(くよう)だけでした。

経典によると、

この世に生をうけたときを「生(しょう)有(う)」、
この世に生きている間を「本有(ほんぬ)」といい、

死の瞬間を「死(し)有(う)」といいます。

そして次の生をうけるまでの期間が四十九日間あるとされ、この間の存在を「中陰(ちゅういん)」とか「中有(ちゅうう)」といいます。

この中陰の四十九日間は、死者が七日ごとに裁きを受けて行き先を決められる大切な期間です。

そこで遺族は一週間ごとに追善供養をして死者が少しでもよいところに生まれ変われるようにすることです。

それが「中陰供養」です。

亡くなった日から数えて七日ごとに初七日(しょなのか)、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、五七日(いつなのか)、六七(むなのか)日、七七日(なななのか)と行い菩提寺の僧侶に来てもらい読経をしてもらいます。

※浄土真宗では阿弥陀如来の救いによって命終(みょうじゅう)と同時に浄土に往生するという教えです。

追善や追福の供養というよりも亡き人の遺徳をしのびつつ、さらには自分が生まれてきたことの意義を考え人生の真実に目覚めていく法縁として、より深く念仏の教えを味わうように心がけるべきでしょう。

{輪廻(りんね)転生(てんしょう)}~古代インドの死生観

輪廻の原語「サンサーラ」は「流れ」・「回りめぐること」を意味し悟りを得て解脱(束縛からの解放)の境地に達しなければ、死んでも生まれ変わって、生死を繰り返すことをいいます。

輪廻には六つの世界(六道(ろくどう))があります。

「天(神々の世界)」「人間(人の世界)」「修羅(阿修羅/争いの世界)」です。